*ご訪問ありがとうございます
東海地方も梅雨入り。
そう聞いたからか、一気に湿度が上がってきたような気がします。
先日、母の残した衣類や着物を片付けに実家に行ってきました。
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母の部屋は、もともと私が結婚前まで使っていたところ。
数年使ったベッドフレームやマットレスをそのまま母が使っていた、のは知っていたけど、まさかまだあるとは思ってなかった。
とっくに買い替えたと思ってました。
フレームは一部壊れているし、マットレスの凹み具合もひどいもので。
ここで普段寝ていたのかと思うと、なんだか泣きそうに。
日中はパートに行っている義姉が、週末に兄と少しずつ片付けていて、壊れたベッドほかチェストや机などは業者に引取ってもらう手はずになっているとか。
洋服ダンスから出した衣類やバッグが部屋中に散乱状態で、あらためて小さな7畳間にどれだけのものを詰め込んでいたのかと驚いてしまいました。
衣類はどうする?見る?コートとか大きいもの、持っていく?
と言われましたが。
義姉も私も高身長で、体形の合わない母のものは着られないし、それは処分でお願いしました。
義姉が困っていたのが着物。
かつて母がミシンを踏んでいた部屋は、仕事をやめてからは父と共有のクローゼットになっていて、そこに桐たんすが入れてあり着物が入っていると。
実は、7月に茶会に行く予定があります(めちゃくちゃ久しぶり!!)
京都まで遠征です。
母の作ってくれた絽の着物にはじめて袖を通すのですが、若い頃向けに作ってくれたもので、ちょっと恥ずかしいピンク色。
もしかして母が持っていたらいいなぁという下心もあって。
とりあえず、一緒に全部の引き出しを別の部屋に運び出し、中のたとう紙を取り出してひとつひとつチェック。
でも、思ったほどは入っていなかった。
着物好きで私が小さい頃は冬はずっと和服姿だった母だけど、よく考えると着ていたのは、紬やウールなど普段着のもの。
で、それらの気に入っていたという10点くらいは、すでに私が貰っていたので、残っていたのはサイズ小さめの紬ばかり。
たぶん、母がおばあさんから(私の曾祖母)もらった、と言っていたもの。
曾祖母は母よりもさらに小さい人だったから、私には無理だと手元に置いていたのでしょう。
母のもので残っていたのは、黒喪服の冬夏そろい、大島紬の一そろい、色留袖、江戸(鮫)小紋、羽織が数点、父の大島。
実は垂れものがたくさんあるかと思っていたので、ちょっと意外でした。
でも確かに、垂れものなんて、なにか行事がない限りは着ないですね。
黒留袖がないところを見ると、私の結婚後に処分したのだろうと思われます。
かわりに色留袖を作ったのだろうと。
従妹の結婚式で着用していた記憶。
訪問着を一点、何年も前に貰ったので、残していたのはそれだけだったのかも。
鮫小紋は、作ったときにとても喜んで話していたことを思い出します。
どうしても欲しかったのが手に入った~と。
でも仕付け糸がしっかりついたまま。。
結局、着る機会がなかったんだなぁと、しんみりしてしまいました。
淡いパープルの上品な色。
残念なことに裾のほうにシミがついてます。
たとう紙になにかこぼしたのか…。
シミ抜きしてきれいにできるかどうか分かりませんが、もし甦ったら丈も直してこれはぜひとも着たいと思いました。
帯も喪服用のものと、たぶんよく締めていたと思われる袋帯、かなり古い丸帯。
そういえば、と義姉が部屋まで取りに行ってもってきてくれたのが、とても品のいい袋帯で、甥の結婚式の際に母からもらったのだと。
でも私はもう付けないし着物も着ないから、と私に譲ってくれました。
またお茶会に行く機会が増えれば重宝しそうで嬉しい。
桐ダンスはまだ全部は見ていないけれど、たぶんあとは襦袢や小物類。
ほとんど処分、ということになりそうです。
それからアクセサリーボックスのチェック。
宝石にほとんど興味を持たなかった母なので、高価なものはパールやサンゴ、水晶、くらい。
洋装のオーダーメイドを長らくやっていて、お洒落な母はよくネックレスをかけていました。
ちょっと個性的な感じなものが多くて、なじみの手芸店のオーナーが仕入れてきたものを好んで購入していて。
家族の食事会や娘の発表会など、お洒落して出かけていたときの母の装いを2人で懐かしく語らいながら見ていきました。
こういうものを全部残すのは、どうなんだろう。。
結局は懐かしく思えるだけで身につけることはないのだろうな。
ということで、私に好みのシンプルなものを一つだけ貰うことに。
義姉も気に入ったもの一つ。
あとは処分です。
それから、生前最後に使っていたバッグと財布。
これは、、泣けてきました。
なくなるひと月ほど前に、最後に一緒にスーパーに行った時のレシートがそのまま入っていて。
車椅子の母に替わって会計した私が入れたもの。
母をたくさん思い出させてくれる。
もしかしたら、80代の私が使いたいと思うかもしれない…なんて思えてきて。
手元に引取ることにしました。
処分を決めた小物や着物類はどんどんビニール袋に入れていき大きいものが3つ。
まだまだこれから衣類を詰めれば大量になりそうだし、桐ダンスの中には襦袢などのほかに上物のセーター(カシミヤなど)も入っていて。
結局全部処分になりそうだけど、次回に持ち越し。
父のものも、母が相当処分したようだけれどまだまだ残っている。
海外に何度か仕事で行っていたので、お土産で買ったであろうボールペンや、カメオ、ネクタイピン、ライターなど。
これはもしかすると買取してもらえるかも、ということで私が預かることに。
夫の父のも、そういえば去年ブランディアに出したなぁ、と思い出し、またチャレンジしてみようと思ってます。
母のパールなども、ちゃんとした店名入りのケースのあるものとそうでないものがあるので専門店に行って見てもらおうかなと。
古くてネックレスのキャッチ部分が悪くなっていて、着けるにしても直さないとです。
娘に形見にあげてもいいし、買取金額がよければそのお金で新しいのを買ってあげてもいいかな、なんて思っています。
結局、目当ての絽の着物や帯はなかったけれど、大島や紬、帯など、状態のよいものは持ち帰ることに。
着物って改めて、重い!
車に積むときも下す時も、部屋に上げるときも、なかなかハードな作業でした(小雨も降っていたし)
我が家の2階の和室に引き出し10杯ほどある和箪笥がありまして。
すでに着物や帯でいっぱいのところに、結婚後もちょこちょこと母が持ってきた箱があって、押し入れにしまってあるのだけども。
中を確認してみると、私の小さいときの着物や浴衣まで入ってる!
こんなのまで引き取っていたとは、知らなかった。
もらった当時はなにかと忙しい時期で、しっかり確認せずに押し入れに仕舞いっ放しでした。
帯などは自分で買ったものもあり、なにしろ茶道の講習会やらで着物を着る機会は本当に多かったので重宝していたのだけど。
着物たんすをしげしげと眺めていると、なんだかため息が。。
ずっと、箪笥から溢れている分を入れるために押入れ用の衣装入れを買おうと思ってたのです。
でも実際のところが、この先何点を何回着るのやら。
そこにさらに遺品までもらってきて増えてしまって。
なんとも、もやもやとして箪笥前で座り込んでしまいました。
要するに、着物の断捨離をしないといけない、ということです。
溢れてきたから新しく収納箱を追加、ではシンプル化からは遠ざかる一方!
重ーい着物を出し入れするのはかなり気持ちが滅入る作業だけど、貰って来たものがいいものだとしても、きちんと仕舞わないと虫に喰われたり困ったことになりかねない。
厳選して、仕舞うものと処分するものを分け、箪笥に気持ちよく収まりきるように頑張るしかないな、と段々そういう気持ちになってきました(ので書いてます)
それから、留袖を処分したであろう母…
妹にあげたか呉服屋さんに引取ってもらったかだと思われますが。
私の留袖も、娘が結婚することがあれば出番が回ってくるけれど、だとしても1回だけ(のはず)
なのに、色留袖までも作ってくれた母(甥の結婚式で着られたのでよかったけど)
そこに新たにまた、母の色留袖まできてしまった。
留袖は日本人の第一礼装だから持っていて困るものではない、とは思えど、高価なことなど考えるとなんとも複雑な気持ちになります。
幸いうちには娘がいて、背格好も似ていて私より数センチ高いだけなので、たぶんそのままあげることはできる。
でも。
いまどき結婚式自体を省略してしまう若者が増えていると聞く。
この先10年ほどの間にどうなっていくのか、見当もつかない。
着物の断捨離をしようという決意は固まりましたが、決して嫌いではなく、むしろ好きで大切にしたいと思っているもの。
紬類も、いずれはまた若いころのようにお稽古で着たい。
なので、洋服のようにはいろいろと踏ん切りがつかず悩むことになりそうです。
暑くて湿気の多い時期にやることでもなさそうだけど。
などと言って先送りにすれば、また気持ちが萎んでいつ復活するか分かったものじゃない。
今やれることは今のうちに!
エアコンのある隣の娘の部屋に持ち込んで、しっかり着物と向き合って決めていこう、と思っています。
おまけ。
明日は私の58回目の誕生日(^^;)
昨年は一日一人で過ごして、つらつらこんなことを書いてましたが▽
今年は週末で家族と一緒。
わんこを美容院に連れて行ったり、娘のマンション寝具入れ替えに行ったりのあと、夜は久々にお豆腐店の和食懐石をいただきにデパート行ってきます!
たのしみだ~~♡
△形見分け。バッグとお財布とネックレス
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